こんにちは。
年子を育てています。suzuringoです。
育児真っ最中って、どうしてこんなにも自分の時間が欲しくなるのだろうか。
「一人の人が欲しい」「早く大きくなってくれないかな・・・」
我が家の年子ちゃんたちが0,1,2,歳の頃、常に私の頭の中ではそう思っていました。
年子育児で大変な全盛期に私は相当参っていた。全く思うどうりに日常生活が進まず、予定は予定通りいかないのが当たり前。ハプニングは突然起こるし、日常の生活が邪魔されずに最後までやり切ることなんてまずない。朝起きてご飯を作るのも途中で中断される、トイレもゆっくりできない、床には食べかすが落ちている、拭いても拭いても意味がないほどエンドレス。
子供がいない時には普通に味わえていた、
日々の生活をただ送るだけでも味わえていた、小さな達成感すら潰されて行く毎日・・・
社会人になって、仕事で感じるストレスとは全くの別物でした。
育児を一人で頑張るストレスは、経験したものでないとわからない。母になって、母の凄さを知る。そして旦那の糞さを知った。
赤ちゃんを産んだ後は、可愛い子供との穏やかな時間の流れる、パステルカラーのような日々の部分しか想像していなかった私。
育児は大変でも自分の子供だし、世の中の母親みんなやってるから楽勝でしょ。くらいにしかおもっていませんでした。
しかし、実際は育児書どおりになんかいかず、むしろ育児書があることによって、(うちの子って標準じゃない?なんでできないの?とか)かえって不安になったりしたものです。
赤ちゃんとの新生活はまさに
『知っていることと実際に歩くことは違う』
の連続の日々。
その当時は一体何がこれだけ精神的にも辛いのか、よくわからなかった。今ならわかるが、日頃の何気ない行動の一つ一つすら、最後まで終わらせることができないことが辛かったのだ。
その小さなストレスが、徐々に精神的にダメージを与えて行くんです。日々の小さな達成感を味わえないストレスでタンクいっぱいで、容量オーバーになり私は常にイライラしていたと思う。
そんな育児ノイローゼに半分足を突っ込んでいた私は、毎日夜な夜なネットサーフィンをしていました。
『辛い イライラする 育児』
同じように辛い思いしている人を探していた。そして、その先に見える小さな光を求めて、経験者の話も探していた。
ある日、どこかのお母さんが書いたと思われる記事を見つけた。
私は子供達が両脇で寝ている真っ暗な部屋で、夜な夜な一人、大号泣した。
子供たち3人、次から次に生まれて、一人目に二人目のベビーカーをつかんで私との間を歩かせ、三人目をおんぶして歩いた。
近所の先輩ママさん達に口々に言われた。
「大変ね。でも、今が一番かわいいのよ。って言われても、そうは思えないだろうけど。私もそうだったし・・・。」そう、その時の私はとても「今が一番・・・」とは思えなかった。
ざあざあ降りの雨の日に、「お友達の家に遊びに行きたい!!」と長男にだだをこねられて、傘をさしながらどうやって三人連れていけばいいのと途方に暮れることもあった。
下り坂でやめなさいっていうのにボール遊びをして、落としたボールを追いかけて車がびゅんびゅん通る国道までまっしぐらに走る次男を、おんぶした長女の首がおかしくなるんじゃないかというほど全速力で走って止めに行ったり、
毎晩2時になるとタイマーをセットしたみたいに夜泣きが始まる長女を心底憎らしく思ったり・・・。
今年、長男は大学に入った。
実家が遠方なため下宿している友達がたくさんできて、週の半分は帰ってこない。次男は高校2年、週末も長期休みも部活でほとんど家に寄りつかない。
長女は中学2年、子供たちの中では一番顔を見るのも話をするのも多いが、こちらも部活と友達づきあいて、家でお母さん、とまとわりついてくることはおねだりしたい物があるとき以外ほとんどなくなった。
思春期の子どもたちとの一触即発の事態を避けるために、言葉を選ぶのもだいぶうまくなってきたと思う。
「くそばばあ」と直に言われたことはないけれど、あ、今そう思ってるな、とわかることは何度もある。
はずみでおまえ呼ばわりされることにも、もう慣れた。せっかく作った夕飯に手を付けないで、カップラーメンの食べ残しがそのままテーブルに置いてあったり、
おなかをすかせているからと超特急でつくって、ごはんですよと呼んだ時には、時すでに遅し、熟睡して朝まで起きなかったり。3人で泣いたり笑ったりけんかしたりする中、家族揃って賑やかに食卓を囲むことは、もうほとんどない。
何度もこぼされたおみそ汁。
おかずといっしょにぐちゃぐちゃにかきまぜておいて、もう食べられない、と残された見るのもいやになるお茶碗の中のご飯。
いくつコップを割っただろう、何度床を拭いただろう。
素足でご飯粒を踏んづけた情けない感触は今でも思い出すとぞっとする。だけど、今大人まで後一歩の子供達を見ながら、思い出すのはあのまん丸の鼻水とよだれてべとべとの顔、何度も握りしめたえくぼのある手の感触ばかりだ。
あんなに毎日通った公園に、足を踏み入れなくなってもう何年経つだろうか。
一緒にお風呂に入って頭を洗ってやったのは、いつが最後だっただろうか。もちろん、今だって一つ屋根の下、親子で暮らせば、楽しいことも嬉しいことも、あることはある。
でも、あんなに濃密でこれでもか、というぐらいの思い出が詰まった日々は、もう二度と来ないのだろう。
一人で自由に出歩くようになった今、電車の中で大泣きする赤ちゃんを必死であやしているお母さん、自転車の前と後ろに小さい子を乗せて、真っ赤な顔で自転車をこいでいるお母さん達を見ていると、思わず「大変ね。でも、今が一番かわいいのよ。」と声を掛けたくなる。
でも、きっと言わなくても大丈夫。
お母さん達は今、思い出をしっかりストックしているところ。
どんなに必死でも、目が回るほど忙しくても、そんな時間の隙間を縫って、こどもとお母さんの思い出はどんどんたまっていくのだ。時はもどらない。
でも、思い出は消えずに、時を超えてずっと手元で輝き続ける。
出典 Twitter
そして今
まだまだ我が家も手のかかる3歳と4歳ですが、その当時がすでに懐かしく思えます。
そして今現在二人は保育園に通いっています。自分が一人になりクールダウンできる時間を持てたことで、「一人の人が欲しい」「早く大きくなってくれないかな・・・」
そう思うことはグーーーーーン!と減りました。
2020年、下の子も小学校にようやく入学しました。
本当に、育児に関しては楽になりましたよ。
仕事が終わると、むしろ「早く子供たちに会いたい」とも思うようになりました。
こうやって、大切な子供たちとの時間は刻まれて行くんですね。
ブログを書いている今も、この文章を読むと涙が止まらなくなります。
私の年子育児で経験したこと、ちょっとしたアイデアと工夫が、
今育児で大変なママさんの助けになりますように。
今日も最後まで読んで下さりありがとうございます。